昨日、書いたことと関連して
いろいろとググっていたら

http://www.president.co.jp/pre/20020603/01.html

「間違った会社に入ったらどうするべきか?」ということで、
お偉い先生がわかりやすく書いてます。
基本的に僕が昨日書いたことと似ていますすが
果たして宮台さんの言っていることが
タイトルの解になっているかは謎。

「タフ」になれっていわれてなれたらわけないじゃん。
20も半ば過ぎたであろう人間がいきなりタフになれるのかなと。
間違った会社に入りましたと思っている人間に、
「ゴルア、タフになれ!!!」言ってもね。

逆に、「タフ」なやつは
どんな会社に入っても「間違った会社」って
認識はないだろうから、「タフ」な奴には要らないメッセージなわけで。

「タフ」になれないから何らかの組織に属することで
自己の存在意義を見出すんだろうしね。

「間違った会社に入ってしまった」人に現実的な有効性を持つかどうかは疑問ですが、就職に対する考え方自体には非常に共感を覚えました。これから就職する人はこういう意識を持つと良いかなと
思う。
就職が決まっていない。

長期に渡り体調を崩し、入院し、その後のリハビリなどで就活が出来なくなってしまったんで仕方がない。

修論出したら探そうと思う。

こういうことを言うと物凄い同情される。

何か新卒採用路線にうまく乗らないと人生
終わりってな感じで。

うーん。

(自分の場合、文系で院行って実学的なことやっていない時点で
既に半分終わっているんだが。もともと年齢制限がゆるいところや既卒OKってなところしか受けていないんであまりダメージないのかもしれないが。)

そのような同情の背景には従来のひとつの企業になるべくいるべき(ってか転職ってのがどちらかというと負のイメージが強かった)ってのに加えて「企業で自己実現しなきゃ(?)」という考え方があるのかなと最近思う。
勿論、仕事に生きがいを感じることは良いと思う。
ただ、それなら企業じゃなくて職種にこだわるべきだ。
しかし、実際は新卒で何某の企業に入らないとと可愛そうなくらい思い詰める。
こんなことを言うのは、学部生と話していて新卒で行きたい企業に行かないと自己実現できないって考え方を多くの子が持っていたからなんだけど。

おそらくある特定の企業に行けば自分が考えている事が
出来る、自己実現できるって考え方が強いんだなと思う。
逆にそこに行かなければもう人生終わりな考え方。

現実的な話をすれば、中途採用も昨今増えているし、行きたかった企業に中途で入ることも出来るんで悲観的になるなといいたい。

ただ、問題はそんなことじゃない。

企業は何もあなたの目的をかなえるためにいるわけじゃない。
企業目的を達成するためにあなたがいるんだよと。

だから、企業が何かをしてくれる、どこどこの企業に行けば
すばらしいものが待っているという過大な期待はしちゃいかんよと。

「考えていたのと違う」とぶち切れてやめることになっちまうぜ。ってか実際、やめている人多いらしいけど。。。

まあ、これは学生側だけの問題でなく、企業側にも問題があるんだろうが。
企業側も入社してしまえば組織の論理で配置するくせに、
面接時にやたらと「やりたいこと」、「当社で実現したいこと」
を聞くことにより、このような「企業で自己実現幻想」の肥大化に一躍買っているのは間違いないわけで。

結論としては、企業に滅私奉公しても自己実現どころか雇用すら守ってくれない時代ですし、自己鍛錬せよってことですな。

修論

2004年11月26日 日常
去年、書いたぶんがあるので
余裕をかましていたが、そろそろ本腰をいれないと
間に合わない時期になってきた。
気付けば、12月も間近。

それにしても進まん。

第一、所々、日本語が変だ。

嫌になってきた。


お金があったら間違いなく金曜日だし飲みに行ってる。

でも、お金がない。

所持金340円。

何回数えなおしても340円。

増えろよ、おい。


仕方が無いので、冷蔵庫にあった発泡酒飲みながら一人モニターの前。

ってか飲まずにやれよって感じ。

まあ、そのくらい進まん。

論文の基本は
ひたすら打ち込むこととお偉い誰かが言っていた。
確かに、考えすぎると一文字も打てなくなったりする。
だから、ピタリと止まって進まなくなったら違うところをやる。それも無理なら引用でもいいからひたすらうって章単位で直していく。

わかっちゃいるんだけどね。

10月22日の日記

2004年10月21日 日常
昼から飲む。@渋谷。

7時間近く飲む。
体力も財布も限界。

立ち食い蕎麦食って帰宅。
サッカー五輪代表。
やはり大久保復帰ですか。
自分としてはハマのスピードスター・坂田大輔をもう少し見たかったが。ワールドユース開幕前からACミランが注目し、ワールドユースでは得点ランキングトップに輝き、欧州の有力クラブが本腰をいれて獲得を検討し始めたという逸材。

まあ、結果を出していないから仕方が無い。
そもそも結果を出す機会を田中とポジションが重なるために、あまり与えられなかったとも考えられるが、そのような中で結果を出すのが一流なのだろう。そう考えると一流になるためには巡り合わせを含め才能以外のいろいろな要素が関わってくるなと再認識した(図抜けた才能があっても監督と折り合いが会わず機会に恵まれなかったプレイヤーなど星の数ほどいるしね。)

ふと、ゴルゴ13の「一流になるには,10%の才能と20%の努力…30%の臆病さ…残る40%は運だろうな」という言葉を思い出してしまった。
何かとやることが多く、目眩がしそうだが、やり出してみると意外に出きる。気持ちの持ちようである程度どうにかなるもんだってことをこの歳になって再認識。
ちょっと前の出来事だが気になるので。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20031112i407.htm

なーんか、普段は子供の人権がどーのこーの
言って、児童ポルノ規制などをガンガンしている今日この頃とは正反対のような事をしている。人権、人権言うなら、親に責任取らせるのではなくて、子供に自己決定能力があることを認めて、少年法の適応年齢を下げろと思う。
確かに、夜、子供が外出る必要なんてないといえばない。

というよりも、特別な場合を除いてない。

子供が夜な夜な外出し犯罪に巻き込まれたり、非行に走るってこともないとはいえない。

というか、かなりある。

犯罪につながりかねない行為を軽微な事でも潰すことにより犯罪そのものを減少させるという意味では有効なのかもしれない。

ニューヨークの前市長が犯罪につながるような軽微なこと(酔っ払いだとか、自動車の窓拭きをするヒトとか)を徹底的に街から排除したことにより、驚異的に犯罪発生を減らした事は有名な話だ。

ただ、子供の教育を法で定めるってどうなのだろう。自分の子供を法で定められてるからという理由で躾けるんでしょ?子供の教育方針って家庭の問題なではないだろうか。
まあ、逆に言えば今の大人の中には法で定められていないと躾けられない奴が多いって話かもしれなが。
しかし、道徳を法制化するということには納得が行かない。問題は、子供が深夜に外に出ることの是非ではなく、道徳を法制化することの是非なのだろう。

もう少し、学部の時に法律勉強しとけば良かったとふと思った。法学部だったんだよな、俺。
効率的だからということだけでその方法が正しいとは限らないと思う。

合理性だけを追求したら世の中ぶっ壊れるぜ。
かくあるべきという理想あって、はじめて方法論があるんじゃん。

整理整頓

2003年11月9日
うーん、論文を書いてるいとつくづく感じる。

俺って整理整頓が出来ないなと。

昔はもっと出来たのにさ。

コピーしたはずの文献が無い。無い。無い。


コピーした文献の整理法がめちゃくちゃだからな。

とりあえず、コピーして読んで、引用等に必要そうな箇所に付箋をはって、机の隅に積んでおく。。。で、読みたくなると引っ張り出し、また積んだり、移動時に読もうかとカバンの中に入れたり、院生室のロッカーにぶち込んだり。

どこにあるかわからなくなる。。。


どうしたものかと。


超整理法なんて本が昔あったが。

それも、買った記憶があるが。

久々に読んでみようかなと思ったが、

どこにしまったかわからないんだな、これが。。。

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